6,4期16年の議員活動、初心忘れまい

先輩の後藤マン都議からの推薦で立候補して45歳で都議会議員に当選、今ではなつかしい有楽町の歴史的都庁舎にかよい、見ること、なすことすべてがびっくりでした。正直、都政の現場を余りにも知りませんでした、視察では泊まったことのない一流ホテル、黒塗りのハイヤーを特権であるかのように乗り回す議員がいる、「先生」と呼びあう不思議で、おかしい世界だと感じました。

私の議員生活の中で思い出になると同時に戒めてきた三つのこと

一 つは、都議会の改革です。

 私が都議になったばかりの経験は驚くことの連続でした。議会のたびに(飲み食い)懇談会が公費負担で開かれ、黒塗りのハイヤーは使い放題・新年会まわりなど私用に使う議員もいました。海外視察では目を白黒させるような豪華な経験をしました。マスコミから海外視察についての取材があり、いかに豪華だったかや視察目的がかならずしも目的どおりでなかったなど、経験にもとづく疑問や問題点を語り、それが報道にも生かされました。そうした経験を都議会改革検討委員会の一員にもなって積極的に指摘し改善を求めてきました。共産党議員団独自の運動やマスコミの力もあって一定程度改善 をさせてきました。

 公費での(飲み食い)懇談会は中止になり、視察においては公費と私費の負担分をはっきりさせ、視察の内容の充実などを図ってきました。(その後、内容 が改悪されたので共産党は海外視察には参加していません)また、黒塗りのハイヤーは公務以外に乗らない、バスや地下鉄の無料パスを返上させるなど改善させて きました。つねに、庶民の心、初心を絶対に忘れまいと戒めてきました。

二番目は、97年の都議選で共産党議員が26人(定数128人)に躍進、約20%の議席占有率を勝ち取った都議会第二党の重みを実感したことでした。国会議員に比較すると100人の議員に匹敵。

第二党として都民の要求をとりあげ、水道料金など公共料金の一斉値上げを2度にわたってストップさせ、乳幼児医療費助成の年齢制限を入学前まで引き上げ、所得制限を緩和させてきました。また、日本共産党が独自の都議会情報公開条例案を提案し、各党をまきこんで都議会情報公開条例を策定しました。

こ の間、福祉手当のきりすての影響や介護保険の影響など各分野で実態調査を繰り返し行い、広く都民の切実な要求をとりあげてきました。文化施設料金の値上げ 問題では文化団体との共同が広がり、不十分ではありましたが是正させました。都民要求を反映させるため、予算の組み替え案を提案し都議会第二党にふさわしい奮闘をしました。以降、毎年、予算の組み替えを提案しています。

三つ目は、委員会活動です。都民の声を生かすための質問づくりは実態調査から始まって、チームでの検討と真剣勝負、準備が不充分なときは胃が痛くなる思いです。特に、住民の声が生きた形で質問に反映でき、行政の姿勢を正したときはこんなにうれしいことはありません。

4期目は、続けて都市整備委員会でしたので、「都市再生」といっては巨大な超高層ビル建設を進めることによって都内の二酸化炭素排出量が増大する、環境への負荷を抑えるべきだと、 これでもかこれでもかと質問しました。質疑では四苦八苦ですが、石原知事の「都市再生」路線と対決していると思うと力が入りました。

毎回、取り上げてきたのでたぶん都市整備委員会の理事者は植木にうんざりしているのではないかと思っていました。ところが、「都市再生についての意見は異なりますが、 植木さんの厳しい指摘もあり、建築物の環境対策を促進するようになりました。」といって声をかけてくれる幹部職員や退職後、海外での環境対策の仕事についた方からは温室効果ガスの削減など「日本の知見や技術についてアドバイス」する仕事に意欲を燃やしているとわざわざメールをいただきました。議会ではたびたび対決してきましたが、こうした声をいただいて私の努力がいくらかでも生かされていると、大変うれしく思いました。

これからも都民の期待に応え切実な要求を反映させるため、努力、努力の毎日です。

 

5honnoueki 4期16年の実績とこれからの公約をまとめたパンフレットです。

是非ご覧ください。(PDFファイル3.6MB)