1,自然の中で

我が家は、戦前は金物屋でしたが戦争が激しくなるにつれ金物を供出するので廃業して、父は軍需工場で働くようになったそうです。近くに高崎城址があり、当時は軍部・高崎連隊が配備され軍人幹部が我が家にも宿泊し馬に乗って出かけたそうです。

かつては織物の取引が盛んでなところで元絹市場が家のそばにあった影響もあってか、戦後は、呉服の行商をしながら「かまや呉服店」として本店、分店を構える までになりましたが、金物屋の「かまや」という屋号をそのまま使っていました。しかし、小さい呉服屋では最早やっていけない時代になり寂しさが残ります。

私 は9人兄弟の8番目で、今ではこんな子沢山の家はなくなりましたが、商売で忙しい両親に代わって姉たちに育てられたというのが実感です。夏休みになると親 の実家がある新潟県、柏崎市に連れていかれ、農業を営む長女家族の家でセミとり、海水浴、植物標本づくりなどで過ごすほうが多かったのを覚えています。と にかく自然が大好きで高崎城のお堀や烏(からす)川で魚釣り、観音山で化石さがしに夢中になって遊びあるく少年でした。

ま た、店は商店街の真ん中にあり、正月二日からの初売りやお祭り、大売出しのときには店番をして手ぬぐいたたみを面白がって手伝いました。町内にあった教会 にも行事のときだけ参加するにわかクリスチャンでしたが、今考えると、子供ながらに「弱きを助け・・・」の精神をここで学んだように思えます。

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